抗うつ薬長期服用と断薬の体験談 − ルボックスと攻撃性、アナフラニールと離脱症状 | コップのお話
 

こころ, 体験記

抗うつ薬長期服用と断薬の体験談 − ルボックスと攻撃性、アナフラニールと離脱症状

     
Glass Story

抗うつ薬や精神安定剤のような向精神薬の類には、副作用や離脱症状があります。

これから書くことは、抗うつ薬の長期服用や副作用、離脱症状および断薬に関する体験談(あくまで一つの体験だと思って下さい)です。

よかったら参考にして下さい。

 

僕が、最初に処方されたのは、10代の半ばくらいの頃、当時「夢の薬」とNHKでも紹介された(医師は自慢げな笑みを浮かべて説明した)ルボックスという抗うつ薬でした。

うっすらと黄色い錠剤で、デプロメールという呼び名もある薬です。

このルボックスは、服用して割とすぐに効果が現れました。

その薬を服用する前の僕は全身が脱力したように気力がなく、真っ暗な部屋にこもって毎晩のように泣いていました。しかし、服用後すぐ光が注ぎ込むように力がみなぎっていきました。

うつろな眼が、くっきりと開いた。

その激しく揺れる気力の針は振り切れるように、ほとんど眠っていた日々が、むしろ眠れない日々に変わっていきました。

深夜三時頃まで起き、ようやく眠りにつく。でも、一時間後には目が覚める。明け方まだ暗い通りを散歩に出掛ける。真っ赤なジャージを着て、さまようように歩く。それは散歩というよりも徘徊と言ったほうが適切な表現かもしれません。

そして、攻撃心が渦巻き、「誰でもいいから殺したい」という情念が沸き立ってきた。

 

その状態について心療内科の医師に相談すると、「それは困ったね。でも大丈夫、いい薬があるんだ」と再び笑みを浮かべて、精神安定剤を追加で処方しました。

その薬を服用すると、今度はたちまち心が落ち着いていきました。まどろみのような、ぼんやりとした世界に包まれる心地がしました。

こうして心療内科では、効かなければさらに抗うつ薬を追加したり別の薬を試しながら、効きすぎたら精神安定剤を追加していく。診察時間はほんの数分、その繰り返しで「薬漬け」になっていったのでした。

僕はまだ10代にも関わらず、多いときには一日に5種類ほど、睡眠薬なども合わせて20錠近く服用していたこともありました。

その頃にはもう、楽しいと思う「僕」というのは薬であり、優しさの芽生えた「僕」も薬なのだという風に、すっかり「僕」というものを見失っていました。

僕の感情は、すべてが薬由来だと思うようになったのでした。

 

それから8年くらいは(病院を変えたり薬の種類を変えながら)処方、服用が続きました。薬をやめたいと思っても、離脱症状が本当にひどかったのです。

離脱症状の存在も、医師や製薬会社は、一部の薬を除き、基本的には認めません。薬害問題に発展することを恐れるためでしょう。

僕の場合、最後までやめることができなかったのは、アナフラニールという抗うつ薬でした。

三日も服用しないと、たちまち不穏な離脱症状が顔を出す。

ちなみに、これは精神的な依存とは違います。別に薬を服用したときの快楽が忘れられない(そもそも快楽はなかった)といったことではなく、身体が、薬がないと混乱して対応できないような状況に苛まれるのです。

 

この生きた心地のしない症状は、既存の言葉では表現することが難しいものでした。

たとえば、歩くたびにシャリンシャリンと全身が脈打つような音が体内に響く。かすかに目を動かすだけで激しい目眩に襲われる。意識が半分以上、この世から外れてしまったような感覚になる(「離人症」)。

ある夜などは、眼球が抜け落ちるような激痛に、深夜にも関わらずうめき声とともに台所で這いつくばっていました。

心配した家族が近づいてくると、椅子の脚をつかんで、「お願いします! 向こうに行って下さい! 向こうに行って下さい!」と呻きながら、椅子の脚を床に何度も叩き付けた。

しかし、アナフラニールを服用すると、その症状は落ち着いていくのでした。

 

その頃は、名医と本で紹介されている千葉の病院に通っていました。僕は、その医師に「アナフラニールの離脱症状が辛い」と相談しました。

でも、彼は、「アナフラニールには離脱症状の報告はない」と言った。報告がないから、存在しない、というのがどうやら彼の論理のようだった。

そして、「それは離脱症状じゃなくて、うつが治っていないからじゃないかな」と優しく諭すように言い、また別の抗うつ薬を追加したり量を増やそうとしました。

報告がないのであれば、あなたがまず報告すべきではないですか! 日本中の医師が、「報告がないから存在しない」と考えたら、一向に報告は上がらないでしょう、とどれほど突きつけたかったか。

でも、もちろん口には出せません。

この世界では、僕が「異常者」だから。

慣れない手つきでパソコンのキーボードを打ったり、ディスプレイに目を細める、その医師の横顔を僕はじっと眺めているだけでした。

 

アナフラニールの断薬は、結局部屋で一人で行いました。

はさみで何等分にも割った。只でさえ細かい錠剤を、まゆげカット用のはさみで、1/2、1/4といったように、徐々に減らしていきました。

1990年代の米国人の10%がそうであったように、プロザック、ゾロフト、ウェルブトリン(いずれも抗うつ剤の商標)のカクテルで、骨の髄まで薬漬けになっていたのだ。

   ×

錠剤を半分に割ることから始めて、次は四分の一に、それから八分の一に。そしてとうとう、最後に粉末状になった薬をトイレに流した。

『スエロは洞窟で暮らすことにした』マーク・サンディーン著

勢い余って飛び散った欠片を、床を這って探した。黒のカーテンのすき間から射し込んでくるオレンジ色の夕陽の眩しさが、まぶたの裏に残っています。

その後、離脱症状は、食事や運動、生活習慣に徹底して気を遣いながら、次第に先述のような耐え難さは薄まっていきました。

僕のからだと心に、幾つかの「後遺症」を残しながら。

でも、もちろん、「後遺症である」という科学的、直接的な証拠を見つけることはできません。

まるで外から見ると汚染物質が青い海に希釈していくように、もう因果関係は「見えない」。まったく、今はそんなことばかりです。

 

NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる (宝島SUGOI文庫)

NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる / NHK取材班

 

心の病に薬はいらない! / 内海聡

2015-09-07 | Posted in こころ, 体験記